ゲームの企画があまりにも進まないので、少し前に
企画なんていらない!
悩むくらいなら手を動かした方が絶対いい!
っていう考えにたどり着きました。
そこで、本当に一ミリも企画について考えないで手を動かしてみました。今までの知識と手癖だけでUnityを触るかんじ。そうすると意外とゲームが組みあがっていくんですね。
「ここをこうしたら面白そうかも?」
↓
「面白い!さすが私!さすわた!」
みたいな流れが何回か続いて、いつの間にかそこそこ面白そうなゲームが生まれそうになりました。
でも、ある時ふっと制作のモチベが消えてしまったのです。それと同時に ”このゲームのどこが面白いんだっけ?病” が発症しまして、急にプロジェクトを閉じる事になってしまいました。
私の中のプロデューサーが「何かやばい!」という気配をいちはやく察し、すぐさま脳内会議が開かれ、私の中のディレクターもプログラマーもグラフィッカーも「このプロジェクトは今すぐやめた方がいい」と言い出す始末。こんなことは初めてです。
今までなら”どこが面白いんだっけ病”が発症しても「いや、このゲームは面白い!大丈夫、作りきればわかるよ!」って思えたのです。
ところが今回のやり方だと、最初から最後まで手探りでの制作なので、核となるものが無いためにすがるものが無く、制作を一度手放したらもう戻ってこないという不思議な感覚を味わいました。
はたから見るとそりゃそうでしょって感じなのですが、本当に貴重な体験をすることができました。ゲームの核(コンセプト)って大事なんだな、作ろうとする情熱がないと駄目なんだなーということを身をもって知ることができました。そりゃそうだ。
ゲームの企画の企画
じゃあゲームの企画をどうするのかという話に戻りまして、つまりスタート地点にもどりまして、ふりだしなのでまた最初からかーって思うわけです。またここかー。つらい。
前に書いたアリの数がどうのという記事で、「ゲームはお客さんがいてこそ成り立つものだから、ニーズの無い独りよがりのゲームをつくってもだめ!ユーザーの求めるものをもっと考えて!」っていう結論に達したような気がします。
ところが今になって、お客さんのことばかり考えると制作が面白くないのでは?という実もフタもない疑問が湧いてきました。そりゃそうだ。
自分が面白いゲームを作るということは本当に大事なことで、それをユーザー向けにカスタマイズするくらいが一番よいものをつくれるんじゃないかなー?と、定期的に180度回転する思考は言っています。人間に核が無いとこうなる。
この説によると、まずは自分が作りたいゲームについてよく考える必要がありそうです。好きなゲームのジャンルや自分の好きなもの、自分が好きなことをハッキリさせると良さそう。
そうしたら好きの部分をよく見て、どこが好きなのか、なぜ好きなのかということを考えると、なるほどここが好きだったのかーと気付けたり、言語化できたりするわけです。それを仕様にすることで、好きを弄れるために作業がとても楽しい。
はじめに思考するこの作業を行わないと、「ダークソウルが好きだからアクションの死にゲーをつくろう!」となり、あの世界観があってはじめて成り立つとは思いもせず、ただのマゾゲーのクソゲーができてしまう…。
そんな行ったり来たりの過程を経て、ようやくゲームの企画が動き出しました。確かに前作「幸せのバレンタインデー」は、チョコレートが好きだったからモチベが保てていたのかもしれない。好きこそ情熱でありエンジンなのかも。チョコ食べたい。
そういえば私の友達が「チョコ食べたいけど太るの嫌だから、チョコを口に入れて飲み込まないで吐き出せば永遠にチョコ食べてられるんじゃね!?すごくないこのアイディア!!」って言ってました。笑顔でチョコを食べて笑顔で吐き出し続ける女。やばすぎる。
なぜ脱線したのか…思ったことを書いただけの記事ですみません。読み物ではなくて自分用のメモてきな内容になってしまいました。なにか少しでもゲームつくりのヒントになればうれしーです。
ぜんぜん関係ないんですが昨日めずらしく暖かかったのでアイス食べたんですね。そしたら髪にアイス食べられちゃいまして、べとべとになって、永遠に小学生だなって思いました。アリさんにモテそう。アリサーの姫。
髪でいろんなアイス食べて、虫さんトコトコのブロック石の下で縁石ライブしてお客さんいっぱいにするリズムゲームどうですか。ぜんぜん面白くなさそうですか。そうですか。
おわり。
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