2020年11月9日月曜日

良いモノなのに評価されないという風潮

思ったことをちょっとだけ書きました。


クリエイターのあいだで定期的に繰り返される話題なんですが、TLで目にしたこのツイートについて。




有名なキャラじゃなくてオリジナルで評価されたい!っていう、よくある話題に対してのお話。クリエイターならみんな一度は同じように思ったことがあるんじゃないでしょうか。




↑たぶんこのうすいしおさんのツイートでもう答えが出てそう。めちゃめちゃわかりやすいです。賢すぎる。かちゃぼ…何???

知らないものがツイッターのTLに現れてもふーんって感じでスルーしちゃうことが多いじゃないですか。興味ないものに興味を持ってくれっていうのはまず不可能だと思うんですよね。


これでもう結論ENDでもいいんですが、ほかに私が感じたことをメモしておきたいなと思ったので書きます。自分のため。


記事とは何も関係ないサムネ用の画像


何が評価されるのかという話で思ったことなんですが、たぶん評価されるっていう曖昧な単語を使うからモヤモヤすると思うんですよね。他人の評価を基準にするなとかそういう話ではないです。一応。


実もフタもないですがすべてのモノは欲が起源で、フォロワーさんユーザーさんお客さんは欲望のセンサーに反応するものに近づくだけ。何もおかしいことはないですよね。

「興味がある」も「欲しい」も欲望の強弱でしかないと思ってます。欲望センサーが反応しない人に作品が刺さるわけないんです。当たり前の話ですが。。。

きびしーですが貰う前にまず与えることが必要、ってことかなと私は思います。つまり評価されていない=与えられていない状態なのかなって。


そういえば『アリの数を数える仕事』っていう記事でも同じようなこと書いてましたね。久々に読んだけどおもしろいです(自画自賛)



あと、それとはちょっと別の視点で思ったこと。

評価される「良いもの」も、アウトプットして終わりじゃなくて結果が伴うものなので、過程だけじゃなく結果込みでようやく良いものだなって思うんですよね。勝てば官軍ってわけじゃないですが、他人の反応も含めてこそが作品だなっていう。

刺さらなければそれは自分にとってだけ良いものでした、ということでお祈り申し上げ…。これ自分に返ってきそうで怖いんですが、自分で自分をごまかさないためにもメモしておきます。


また技術や知識のインプットは下地というか大前提なので、それだけで終わらないように、アウトプットとその結果も自分の力にしていきたいな~とも思います。

めちゃめちゃ絵がうまい人も絵を描かなければ評価も何もないですよね。技術とか知識とか練習それ事態に価値があるって思い込むと病みそうだなって。ゲーム作りでもそのあたりの考え方を忘れないようにしたいです。


仕事とかなら技術や知識をアウトプットする前提なので、それほど気にしなくてもよいと思うのですが、個人の活動だと「結果がすべてだ!」みたいなところがあるじゃないですか。

作品の反応こそが学びのチャンスだと思うので、結果のフィードバックを大事にしていきたいです。どんな結果でもポジティブに。



現在、初となるアプリリリース前のラスト作業なので、自分の死体が土壌にとっての栄養になるのだぜって復活バフをかけておく意味もあります。クリエイターの初陣は死んでこそですよね。しにたくない。

世界がおかしい!と思ったときはたいてい自分がおかしいので注意していきたいです。よく私も過程だけで満足しちゃうので気をつけたいなーというお話でした!




おしまい。
 

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